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明智光秀公

 可児市東部には、明智荘(あけちのしょう)とよばれた荘園が広がっており、明智光秀公はここを治めていた土岐氏の一門である明智氏の出身とされ、土岐氏の家紋「桔梗」は、光秀の使用した家紋であったといわれております。
 明智光秀の叔父光安・光久が城主であった時、稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受けて落城したとされる明智城。明智光秀公が生まれ落城するまでの約30年間過ごした城と伝えられており、明智城址の麓に天龍寺はございます。
 明智光秀公の命日である6月13日にちなんで作られた、日本一大きい(6尺1寸3分)位牌が祀られており、戒名は「長存寺殿明窓玄智禅定門(ちょうぞんじでんみょうそうげんちぜんじょうもん)」。
 境内には〔前親衛藤原詮実、法名定栄、明徳5甲戌10月18日〕と刻印された宝筺印塔があり、明智光秀公一族の墓として祀られています。
 明智光秀公供養祭が毎年6月頃、天龍寺にて行われ、明智城址保存会が明智光秀公の遺徳をしのび昭和48年から毎年開催。当日は保存会の会員や地元の人、関係者が参加し、明智光秀公の命日である6月13日にちなんで作られた、6尺1寸三分(約184cm)の位牌に向かい焼香いたします。引き続き茶会を催します。

※諸説ございます

可児市天龍寺本堂内部